佐瀬雅行写真展に向けて

山寺(山形県山形市)

正式な寺号は宝珠山立石寺(りっしゃくじ)だが、山寺の通称で知られる。天台宗の寺院で本尊は薬師如来。寺伝では貞観2(860)年に清和天皇の勅命で天台宗の第3代座主、慈覚大師円仁が開山したとされる。凝灰岩が浸食され、奇岩や洞穴が露出した宝珠山のあちこちに堂塔が点在する。ふもとの根本中堂には、比叡山延暦寺から分灯された「不滅の法灯」がともっている。松尾芭蕉が詠んだ「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の俳句はあまりにも有名。

  • 参道の傍らに戒名を書いた「後生車」が並ぶ。薄くなった墨文字に過ぎ去った歳月を思う

遥か以前から、ここが聖なる地であったことが納得できた

仙台から山形へ向かうJR仙山線の列車は奥羽山脈の山あいを走り、山形盆地の手前で山寺駅に停車する。ホームに降り立って北を望むと、切り立った崖の上に堂宇がへばりつくように建つ風景が目に飛び込んでくる。芭蕉の俳句があまりにも有名なために山寺というと夏のイメージが強いが、雪化粧した宝珠山は幽玄の美を感じさせる。

駅から山寺への道はすぐに立谷川を渡る。橋のたもとに鎮座している巨大な岩が「対面石」だ。言い伝えによると、円仁が山寺を開山する際に地元の狩人である盤司盤三郎と対面し、話し合った場所だという。円仁は貞観2年にはすでに60歳代で天台座主の地位にあり、実際に山寺に来たとは考えられないが、弟子たちが代わりを務めたのかもしれない。盤司盤三郎の伝説は北関東や東北各地に見られ、マタギ(狩人)の祖とされる。山寺と県境を挟んで向かい合う仙台市太白区秋保にも「盤司岩」と呼ばれる岩壁がある。盤司盤三郎はこの一帯で暮らしていた狩猟民、山人の長だったのだろうか。

奥の院に至る参道は千段余りの石段が続く。それほど傾斜はきつくないが、冬場の積雪が凍り付いた石段は恐ろしい。トレッキングシューズに滑り止めを装着して、慎重に登り始めた。参道沿いには風化した石仏や朽ち果てた卒塔婆が置かれ、浸食でできた岩壁の洞穴が霊場の雰囲気を醸し出す。山門から仁王門、奥の院と巡り、少し戻って断崖の上に建つ開山堂、納経堂、五大堂を回りながら冬の修行の厳しさを僅かながら体験した。三方が開けた五大堂からの眺望はすばらしい。向かいの峰のお堂、周囲の山々、ふもとの民家や田畑まで一望できる。山寺が創建される遥か以前から、ここが聖なる地であったことが納得できた。

梅雨の晴れ間となった7月中旬、「もう一つの山寺」「元山寺」といわれる峯の浦・垂水遺跡を訪れた。根本中堂から東へ700メートルほどの場所に千手院観音堂がある。観音堂の脇を入り、蒸し暑さに閉口しながら杉林の中の山道を15分ほど登ると垂水遺跡に到着した。巨大な断崖に洞穴が穿たれ、色あせた木の鳥居が見える。凝灰岩が風雨で浸食されたのだろうか、岩肌には蜂の巣状の模様が無数に刻まれ、霊妙な空間を生み出している。静寂の中、1人で撮影を続けるうちに時を超越したような不思議な感覚にとらわれた。洞穴には古峯神社と稲荷神社が祀られ、すぐそばに不動明王や円仁の修行宿跡とされる岩窟もあり、神仏習合の地であったことが分かる。
さらに七つの大きな岩が並ぶ尾根をたどり、中世の曲輪と見られる馬場跡を経て、峯の浦遺跡の修験場跡に到着した。周りを毘沙門岩や男岩、女岩などの巨岩に囲まれた小さな広場で、いかにも祭祀の場という雰囲気が感じられる。一瞬、修験道の行者や山に祈りを捧げる狩猟民の幻を見たように思えた。(2013年3月/2014年7月撮影)

 

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