佐瀬雅行写真展に向けて

遠野郷(岩手県遠野市)

北上山地の最高峰、早池峰山(はやちねさん)と六角牛山(ろっこうしさん)、石上山に囲まれた盆地。陸中海岸と東北自動車道や新幹線が通る内陸部との中間に位置する。藩政時代は仙台藩領と接する要衝のため、盛岡藩御三家の一つである遠野南部氏が置かれた。日本民俗学の黎明期を飾る名著、柳田国男の『遠野物語』の舞台として知られる。

  • 遠野・続石。自然の造形物、それとも古代の遺跡か。ロマンをかき立てられる

民話や伝説が残されていたのは、周囲を山に囲まれた遠野の地理的条件があったからか

その是非はともかくとして、『遠野物語』は貴重な観光資源になっている。久しぶりに訪れた遠野市の市街地に人影はまばらで、観光案内の標識だけが目立っていた。物語の舞台となった場所は遠野市内に点在するが、佐渡島と変わらない面積だけに徒歩やレンタサイクルで回るのは一苦労だ。 続石(つづきいし)は綾織地区の山あいに位置し、JR遠野駅から約10キロも離れている。駐車場から山道を10分ほど登ると、祠の前に巨大な組石が見えてきた。二つ並んだ石の片方に幅7メートル、奥行5メートル、厚さ2メートルほどの巨石が置かれている。イメージ通りの光線状態になるまで3時間以上も対峙していたが、どうしても自然にできたとは信じられない。武蔵坊弁慶が造ったという伝説はともかく、例えば古代の支石墓(ドルメン)のような構造物に思えた。

『遠野物語』の語り手、佐々木喜善の生家に近いデンデラ野は「姥捨て」伝説の地だ。60歳を過ぎた老人が死を待ちながら自給自足で暮らしたという。現在では夏草に覆われた小さな丘にすぎないが、集落のすぐそばに「姥捨て山」があったという現実に驚かされる。冷涼な土地にも関わらず稲作に依存したために、飢饉で苦しんでいた盛岡藩の実情を物語っているのだろう。

座敷童子、オシラサマ、河童、天狗、山人……。さまざまな民話や伝説が失われずに残されていたのは、周囲を山に囲まれた遠野の地理的条件があったからかもしれない。(2012年10月、2014年9月撮影)

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